超低予算映画「激突」で華々しくメジャーデビューしたスピルバーグの地位を不動のものにした「ジョーズ」。
1970年代の映画なので「古典」と言うには中途半端だけど現代映画の基礎、文法、セオリーが詰まってる。
ストレスを感じることなく観ることが出来る娯楽映画。
冒頭のシーン。
海岸で若者が焚火をして騒いでいる。中にはちゅーをするカップルまでいる。今でいう所の「パリピ」その中で一人の女性を男性が追いかける。巨乳を揺らし、我が世の春と言った感じではしゃぐ女性。そのまま泳ぎに行くとサメにガブリと食われてしまう。ガブリ。
つまり「はしゃいでるカップルに天罰を」というさまざまな映画で繰り返されるシチュエーションがそこにある。70年代から「はしゃいでるカップル」は嫌われていたのか・・。
ルサンチマンを抱える観客へのサービスシーンだ。
若い女性が鮫に食われる。そんなシーンからこの物語ははじまる。
その鮫を三人の男性が退治に行くという物語。
単純明快なホラーとしても観ても面白いし、深読みしても行ける。
・警官
・熟練した低学歴の漁師
・金持ちの高学歴の研究者
この現実社会では交差することのない三人が船に乗り込み「捕り物劇」を開始することになる。しかし船に乗っても「価値観が違う三人」なのでまるで分かり合えないし、ケンカが絶えない。
キャラが立っている。映画には必須な要素だけどこの個性あふれる三人は社会にそのまま置き換えることが出来る。
警官は鮫の知識などまるでない素人。つまり一般市民。漁師は学がないが経験豊富な労働者階級。そして研究者は経験が希薄な資本家に置き換えることが出来る。
一般市民と底辺労働者階級と資本家。
どれかに観客は自己を投影させることが出来るようにうまく作られている。
現実社会でもこの三人は分かり合えないのだが、まさに船の中での口論の連続はその現実をうまく表現している。
・・そしてこの映画には観客への「小気味いい裏切り」が用意されている。
観客のほどんとは市民であり労働者階級であるから、研究者が食われると想像しながら物語は進行していくが、なんと低学歴の熟練した漁師が悲惨な最期を遂げてしまう。
良い意味でここで観客は裏切られる。娯楽映画には必須である痛快などんでん返しだ。
しかしこれは別の観方も出来る。
資本家は悪であり労働者階級は善。
果たして本当にそうだろうか?
金持ちが必ずしも悪人というわけではないし、底辺労働者が必ずしも善人というわけではない。
対立しあっていた三人は「鮫退治」という同じミッションをする過程でやがてお互いを尊重し理解し合う仲間になる。
対立し合いそして嫌悪し合う一般市民と底辺労働者階級と資本家が一体となる。
社会が抱えるこの「永遠のテーマ」とも言える命題をエンターテイメントとして昇華している傑作だと思う。