映画「ゾディアック」とっても嫌な気分になる映画

実際に起こった未解決事件に基づく“謎が謎を呼び、恐怖がノンストップで迫り来る。この映画の求心力からは、誰も逃れることができない…。” -Peter Travers, Rolling Stone

連続殺人事件物。この手の映画は「ノーカントリー」と同じくとても多い。

多過ぎて下手すると退屈してしまいそうになるテーマだ。

そして本編は157分ととても長い!

間延びしそうだが、しかしこれが一気に観させてくれる飽きさせない内容に仕上がってる。

冒頭のシーンはカップルのドライブデートから始まる。車の中でいちゃつくカップル。典型的なアメリカのティーンエイジャーの幸福がそこにはある。殺人鬼ゾディアックはこのカップルを射殺。

そんな凄惨なシーンから物語は始まる。

次々と殺されるカップル。怨恨でも強盗でも強姦でもなくその殺人の動機が不明。いわゆる快楽殺人に分類される事件。動機が不明な無差別殺人に捜査は難航してしまう。

それを嘲笑するかのようにゾディアックは犯行声明文や暗号を新聞社に送り付ける。

劇場型犯罪として社会はこのグロテスクな事件に騒然とする。

若くて幸せそうなカップルが次々と惨殺される。

それは偶然なのか?

物語が進むにつれてその犯人像が浮かび上がり深い闇が見えてくる。

上位カースト(勝ち組)の浮かれ切ってる人々への憎悪。

そのゾッとするような犯人のルサンチマンを観客はのぞき込むことになる。いやこの感情は多くの人に潜んでいるのかもしれない。

劇中この事件に獲りつかれたように追う漫画家が登場する。彼が中心となってこの物語は進んでいく。事件を追う刑事、漫画家、記者がみなこの事件の狂気に飲み込まれて行ってしまう。

この実在した事件はやがて本として出版され、そしてこうやって映画化までされた。多くの人の心を揺さぶる何かがそこにはあるように思う。

幸福を切り裂く殺人鬼。

その闇は実は多くの人が抱えてるものなのかもしれない。

負け組、狂気、不幸、嫉妬、貧困、羨望。ありとあらゆる人間の醜いグロテスクな感情が詰め込まれた映画だ。

この映画に限らないことだけどアメリカ映画では「浮かれたカップル」が殺される場面が実に多い。

まるで浮かれたカップルに鬱憤が溜まってる観客のドス黒い感情を満たすかのように映画内で殺されまくる。

多くの人は非モテであり慢性的な欲求不満であり敗北者側である。映画制作サイドのそんなシニカルなマーケティングを感じる。そしてそんな人々のためのカタルシスとしてリア充カップル殺害シーンが多くの映画に用意されている。そう解釈が出来ると思う。

この場合の「浮かれたカップル」とは社会の幸福の象徴だ。

映画「ジュラシックパーク」で最初に殺されるのは金に汚い弁護士で恐竜に頭から食われてしまう。映画「ジョーズ」では海辺で乱痴気騒ぎに興じるパリピの女がサメに食われてしまう。

金持ちが怪物に食われる、リア充が惨殺される。それを「つまみ」として観客は映画を楽しむってわけだ。

歪ではあるけど、現実としてそんな歪な感情を持ち合わせているルサンチマンは多いと思う。

誰もが持つ潜在的な悪。それをまざまざと見せつけられる映画だ。