映画「モンスター」非モテ女は悲惨なのか?

「モンスター」で検索するとコミックやら小説やら飲み物やら雑音が多くて見つけにくいけどシャーリーズ・セロン主演の「モンスター」という映画について書こうと思う。

今の世相だとこの映画もテレビ放映は困難だと思う。内容がグロテスクで生々しくてとてもお茶の間で鑑賞するのに耐えられるものではない。検閲や思想が絡んでて良質な映画と出会うのは困難に時代になってきている。表面的に小奇麗な映画しか目に留まらない。

そこでなかなか発見しにくい隠れた名作を取り上げていこうと思う。

主人公は不器用な非モテ女。売春を生業としているが、やがてその生活に疲れ切って自殺を考える。こんな重い始まりだ。

「非モテ女」をテーマにした映画の中では秀逸な出来栄えだと思う。

女には穴モテがある。しかし必ずしも穴モテで愛情が手に入るとは限らない。

男にヤリ捨てされる。これが女の定番の非モテの形態だと思う。性的な需要は女である限りゼロになることはないが愛されるとなると差が生まれる。

「セックスの相手」までなら行けるが恋人にはなれない。愛されない。これが多くのモテない女の苦悩だろう。

ただしモテない男の場合は愛情や恋人は当然手に入らないしヤリ捨ての対象にすらならないのでこの非モテ女の苦悩はやや贅沢に思えるけどこれが女の子基準だと思う。

この映画を楽しむには一時的にこの女の子基準に合わせる必要がある。

性的にしかチヤホヤされない女の哀しみ、それがこの映画には漂っている。売春→男性不振という王道ともいえる道を進んでいきやがてこの主人公は売春ではなく男を「殺す」ことを生業にする。実際にアメリカであった大量強盗殺人事件を題材にしてる。

不幸な生い立ち、不器用、醜面、男性不信、そんな非モテ女が狂気の道に足を踏み入れていく過程は興味深い。映画文法的にもどんでん返しが用意されていてとても面白い。

・・ただ残念な部分は「女寄り」だということ。監督が女性でフェミ思想が入っているのが伝わってくる。

映画の流れが変わる重要なシーンがある。売春をしている主人公が大量殺人のきっかけとなる最初の殺人をする場面。いつものように客の男の車に乗り込む。この時点では殺意はない。そしてセックスをしようとすると客の男は豹変して殴りかかってくる。

主人公はサディスティックな性癖がある男に出会ってしまい被害に遭う。暴行され縛り上げられ気絶する。しかし隙をみて男が持っていた拳銃を手に取って撃ち殺す。一気に今までの男への恨みがこみ上げるシーン。この事件がきっかけとなって何かが決壊してしまいと修羅となり売春ではなく強盗殺人に手を染めるようになってしまう。

あくまできっかけは男でありそれは正当防衛だったという免罪符のようなシーン。しかし死人に口なし。本当かどうかも不明だ。どんな理由であれ大量殺人が許されるわけはない。

しかし殺人を行う主人公の女はあくまで被害者だという監督の意図にそってストーリーは進んでいく。

映画「悪人」と根底に流れるものは似てて本当に彼女はモンスター(悪人)なのか?という問いかけがそこにはある。多様な登場人物の誰がモンスターなのかわかりにくい(そこが妙な面白さに繋がるのだが)

タイトルの「モンスター」というのはそんな意図がある。

大量殺人を最後まで正当化し続けるストーリーにはやや無理があるけど女バイアスはそんなもんなんだろうなと思う。2003年の映画だけどもうその時点で「女の子は何も悪くない」という女の子主義は生まれていたわけだ。

ハイウェイの路肩に立つ売春婦。男に裏切られ続けるヤリ捨て女。

男視点から見れば「おお!セックスして金が貰えるブルジョアジーじゃんか!」とも言える。その稼いだ非課税の金を貯蓄し堅実に生活することも可能なわけで、そこにはあまり同情する余地がない。それで人生が破綻するのは完全な自己責任だろう。本当に不幸なのか?という違和感がそこにはある。

男と女の温度差。そんな視点で見ても面白いと思う。

女の苦悩というものはさまざまな場所で見かけるが、どこか「贅沢な香り」が漂ってくる。

病気や障害であれば深刻だとは思うけどそれは男女関係のない苦悩だ。女特有の苦悩というのはあらゆるメディアで長々と聞かされることがあるけど、ぶっちゃけ同情できるような内容があまりない。

その辺の違和感、生理臭漂う狂気なども見どころの映画だと思う。