男女論と将棋

久々に将棋の中継を観たんだけどそこにはメディアが伝えるような光景はみじんもなかった。

昨今は男を馬鹿にし嘲笑するような話題が目についてゲンナリすることが多い。

男の不幸をつまみにしてお茶の間で盛り上がる。男の不幸がエンターテイメントになっているように思う。

男には威厳も権威もなくなった。お茶の間の道化師でありピエロでありオモチャ。

社会的地位の高い男性ですら些細なオイタで叩かれ抹殺されるような戦慄の世の中だ。

しかし将棋の中継を観るとそこにはまるで別世界のような光景が広がっている。解説をするのはたいてい女流棋士と男性棋士という組み合わせ。

ただ女流棋士はアシスタントという位置づけであり男性棋士を敬い「先生」と呼ぶ。

つまり将棋の世界では女流棋士と男性棋士は対等な関係ではなく明確な地位の差がそこにはある。

解説と言っても女流棋士は持論を展開するわけではなく男性棋士の解説の聞き役であり下手に回りフォローする側になる。男性棋士の解説に口を挟まず言いなりだ。

男性棋士への作り物ではない尊敬の念がそこにはある。それはなぜか?

将棋界は完全な実力社会であり男性棋士と女流棋士が対戦しても勝つことがまず出来ない。コテンパンに叩きのめされ負かされる。その圧倒的な実力差を体感しているので女流棋士は男性棋士を無条件でリスペクトしてる。

差別ではなく能力差から男性に敬意を払う女性が沢山いる。能力差の前にひれ伏す。それが将棋社会。

将棋中継という空間では男性を馬鹿にする女性は一人も出てこない。

もう世の中から消え去ったと思えるような「男をたてる女の姿」がそこにはある。まるで別世界のようだ。

将棋界のような男女の圧倒的実力差を見せつけられるような世界が減ってきてる。

女性だからとハンディキャップや優遇が与えられるわけではなく対等な土俵で男性に勝負してそして男性に敗北する世界。そんな世界では女性は男性をたてる。

勝負事ではない実力が曖昧な世界では男性の能力が可視化されにくい。

女性は優遇という下駄を履かされてることを忘れてそれを実力だと思い込む。

男性と女性の能力差を体感出来る場が少ない。

これが男性の権威が没落した一つの要因かもしれない。