A 背が低く腕力体力もなく華奢。生理があり妊娠リスクがある。
B 背が高く腕力体力があり屈強。生理も妊娠もない。
AとBの生物の場合どちらが生きやすいか?勝ち残りやすいか?どう考えてもBのはずだけど現実は女性が長寿記録を独走してる。Aがなぜか無双中。
— 織田三郎 (@odasaburo99) October 20, 2017
名作映画の「猿の惑星」
このギミックが凄い。惑星に着くとそこは人間と猿の立場が逆転した世界だった。猿が支配し人間が飼われ奴隷として扱われる。地球上と逆の世界が広がっていた。
そこには強烈な皮肉がある。当たり前のように人間は自分より弱い動物を家畜にしたりなぶり殺しにして食べたりしているわけだが、その自覚は人間にはない。無意識のうちに行ってるその日常的で残虐な行為の映画化に成功したのが猿の惑星という名作で観客の無意識を揺さぶった。
主人と奴隷は一寸先が闇でその関係性などいとも簡単に逆転してしまう。それも映画では克明に表現されている。
今、幸運にも人間は地球の食物連鎖の頂点に立っているだけに過ぎない。
上のツイートは男女間での例えだけどこれは人間と他の動物との例えにも通じる。
なぜ腕力も体力もないような人間が食物連鎖の頂点に立っているのか?
戦いであれば人間より腕力の強い動物はたくさんいる。
これが男女論にも当てはまることが出来る。
なぜ腕力も体力もないような女性が食物連鎖の頂点に立っているのか?戦いであれば女性より強い男性はたくさんいる。
こう置き替えても成立してしまう。
女性は腕力体力がなく個体としてとても強いとも有利とも思えない。なのに女性はセクハラ騒動やらモラルハラスメントやらとても勇ましく声高で、危険過酷労働からも逃れられて長寿を獲得した。そこには弱者の面影はもうない。男女間でのパワーバランスはいつの間にか逆転した。
つまり
猿=男
人間=女
という関係性になってしまった。お姫様主義、女の子主義の襲来。
支配と従属のような関係性の男女は現実にとても多い。それに今、男は苦悩してる。奴隷と主人。性欲猿(男)とそれをコントロールする猿使い(女)
他の動物に食われたいと思う人などいない。例えば虎や熊に食われたいと思う人などいない。でも他の動物を食うのにはなんの躊躇もないのが人間だ。食ってる意識すらない。
豚や牛はうまくて俺も好物だけど食われたいと思ってる豚や牛などいるはずもない。
食われたくない!いや食いたい!との戦いの中で豚や牛は負けてしまった。
起源などはわからないが過去の歴史を振り返れば抵抗した形跡はどこかにあると思う。食おうと殺しにいけばそりゃ動物は逃げるわけでその攻防戦に家畜は完全に負けた。
そしてもう「弱い動物を食っている」という残虐性すら消すことに勝者側の人間は成功してる。
完全な強者になるともう強者であるという意識や自覚すら消え失せてしまう。
人間と豚、牛。
男と女。
いつも間にか確実にパワーバランスは逆転していてそのエゲつない変化に「敏感な人」は気が付いていると思う。
圧倒し圧勝すると勝利者の側はもう罪悪感や残虐性なども起こらなくなるのだがもうその現象をチラホラと感じることがある。
「ホ別2でー。写メなしー。迎えきて。あ、アタシは弱者だからね!あとキモイ人無理ー」
出会い系で売春する女に弱者の面影はもうない。
何も悪びれることなくそう言う女たちはもう勝利者の側に立っている。
罪悪感もなく残虐に食い散らかす側に。