挫折者が挫折者のままで終わらない社会

20年くらい前にNHKの番組でプロ棋士を目指す青年の話があった。年齢制限ギリギリでもう彼にはあとがない。プロ棋士になれなかったらただの「将棋好きな人」となってしまい潰しも効かない分野だ。しかし彼は結局、年齢制限の壁に阻まれてプロ棋士にはなれなかった。幼い頃からの努力が全て泡になった瞬間だった。本来ならとてもドラマティックなストーリーになるはずだが、、

しかし彼自身の性格のせいもあるんだろうけど番組に盛り上がりがまるでない。良く言えば謙虚、悪く言えばひょうひょうとした彼の人生をどんな切り口をもってしても感動のドラマにすることが出来なかった。最後まで彼の表情には抑揚がなく「プロ棋士断念」は彼の人生の大転換期になったであろう重大な出来事であるはずなのにイマイチそれが伝わらない。

涙も熱さも興奮も何もない。終始憂鬱な時間だけ流れた。

プロ棋士になれず番組としても盛り上がりに欠ける内容だったが何故か記憶には残っていた。

潰しが効かないただの将棋好き。プロ棋士になれなきゃ終わり。青春期を捧げる厳しい勝負の世界。

坊主頭でお世辞にもコミュ力があるとは言えない。将棋に青春を捧げ挫折したそんな冴えない(失礼)男性がどう社会の荒波を生きて行くんだろうと彼のその後の人生が凄く気になった。

YouTubeで将棋の対局をぼんやりみてたら元奨励会員の人がやってる番組だった。かなりの再生回数だった。

ああ時代は変わった。そう実感した。

つまりその道を進んでプロフェッショナルになれなくても今の時代なら食ってくことが可能だということだ。インターネットで潰しが効く。

元奨励会員というのは昔であればほぼ意味はなかったが今であれば立派な肩書きになる。ネットでそのニッチな才能を発信すればいい。

夢を叶えるには努力や才能も必要だが運も大きく関係してくる。

挫折したら終わり。不運なら終わり。一流になれなければ終わり。そんな一発勝負な時代から現在は大きく変わった。人生の自由度が高くなり可能性が広がったと思う。

どんな夢であろうと夢を追った時間や努力は無駄にならず潰しを効かすことが出来る。

挫折者が挫折者のまま終わることがない。また終わらせない。これはインターネットがもたらした革命だと思う。

夢を追い挫折した人、何かをやらかしちゃって散っていった有名人。そんな人もさまざまなプラットフォームでいくらでも復活出来ちゃう時代だ。何度でも蘇ることが出来る。